怒りと許し

マインド
この記事は約6分で読めます。

「人を呪わば穴二つ」

ということわざがあります。

 

これは人に害を与えれば、
自分も同じように害を受けるものだという意味ですね。

 

人に恨みつらみや攻撃的なマインドを持った時
それが自分に返ってくることがあります。

 

誰かを許すということは、
許すことが出来る誰かの為ではなく、
自分のためなんですよ。

 

自分がより楽になれたり、
自分をより好きになる為でだったり、
自分がより欲しいものを手に入れる為であったり…

 

誰かに怒りをもつ時、
攻撃的なマインドをもつ時、
自分の為に誰かを許すことをチャレンジする必要があります。

 

許すって損だ

「許す」という事は、
結局は「損」する事といえます。

 

「許せない」という出来事は、
結局は「奪われた」からです。

 

だから怒るのです。

 

そして許せないのは、

「奪って行ったものを返してもらってない」

状態のままであるからと言えます。

 

あなた
何を奪われたっていうんだい?
別にものを取られたから怒ってる人ばかりじゃないだろう…

 

モノだけとは限りません。

  • 自分の好意や優しい気持ち
  • 自分の心や体の安全
  • もらえるはずだったモノや情
  • 時間

そういったものを「奪われた」訳です。

 

もしかしたら早い段階で「謝ってもらったら」
奪われたものが返ってきて少しは感情が違うのかもしれません。

 

しかし感情に蓋をして
怒りに任せたせいで
その機会を少なくし
困難なものに自分でしてしまった。

 

だから、いまだに謝ってくれていない。
いまだに返してくれていない。

 

または謝ってもらったが、奪われたものが完全には返ってきていない。

 

むしろそれが

「いまだにわかってくれていない」

と感じてしまう。

 

これが「許せない」という事の
構造なのではないかと考えたのです。

 

つまり「尊厳を奪われた」「損した」と怒っているのです。

 

尊厳を奪って行ったあの人は、
奪って行ったのだから「犯罪者」です。

 

介護の世界でも
利用者の尊厳をないがしろにする行為は
厳罰に処される事が多いですね。

 

善も悪も正義ではない

相手は「犯罪者」だから、

「罰を与えないといけない」
「仕返しして当然」
「自分と同じ辛い目に遭わせてやりたい」

と考えるのです。

 

つまり相手に対して

「大切なものを奪ってやりたい」
「相手を傷つけて、尊厳を奪ってやりたい」

これが「許せない」という事の
メカニズムであり正体ではないかと考えられます。

 

「罪を犯した者は報いを受けなければならない」

といった正義感にも似たシステムですね。

 

しかしこれでは

「どちらが善でどちらが悪か」

があいまいになってしまっています。

 

一応、法的解釈では

「報復はダメよ」

というものがありますが…

 

簡単にいうと

「潰し合い」

ですね。

 

そこに正義があるのかといえば

「双方とも正義ではない」

と言えます。

 

報復して満たされましたか?

おそらく多くの方が
何かしらの報復や仕返しをした事があると思います。

 

自分が受けた被害と同じだけの仕返しや
相手に傷を負わせるといった行為で満足できましたか?

 

多くの場合、
自分が受けた以上のダメージを相手に追わせないと
満足できないはずです。

 

また根本が怒りから派生したものなので
満足はしても許せていないはずです。

 

つまりどちらかが潰れるまで
泥沼の潰し合いを続けていかなければなりません。

 

これがあなたに幸せをもたらす状況と言えるでしょうか?

 

仮にそれで相手がこの世から消えても
あなたは満足することはないでしょう…

 

だからこそ「許し」が必要となってきます。
それは「怒り」の対象である人の為ではなく
あなた自身のためにです。

 

だけどアイツはわかってない!

泥沼の潰し合いを行い、相手が非を認め謝ったとします。
多くの場合

「いまさら謝られても遅い」

となったりします。

 

「奪われたもの」は、
やり場のない悲しみとして
深い傷となって残り続けます。

 

あなた
返してよ、返せないなら私と同じぐらいつらい目にあってよ

これが「わかって欲しい」です。

 

返せないなら、
せめて「わかって欲しい」。

 

ここが満たされないと、
この傷は終わらないのです。

 

しかし相手が

「同じぐらいつらい目」

にあったとしても
満足することができない…

 

それはどこかで
今でも「損した」という感情が残っているからです。

 

今許してしまうと「損」してしまうからです。

 

だけど冷静に考えて
「損」をこれ以上取り戻す方法は
ほぼ無いに等しいですよね?

 

何より自分自身を傷つける

「尊厳を奪われた」という思いはやがて、

「わたしは、大切にされる価値のない人間だ」
「わたしは、愛される価値のない人間だ」

という「自己否定」へと発展します。

 

理由の如何に関わらず、
普通は人を攻撃している姿に嫌悪感を覚えます。

 

その事実を認めないための怒りであったり
怒りの対象に「犯罪者」とレッテル貼りを行ったりする訳ですから。

 

ふとしたキッカケで
人を攻撃している自分の姿にハッとして
自己嫌悪や自己否定が始まります。

 

自己否定とは、
心と肉体のダメージを避ける防衛本能です。

 

残念な事に、
度を過ぎると
またそれが心身を蝕むという
「矛盾」もはらんでいます。

 

まとめ

怒りで解決しようとしても解決できない。
だからこそ「許し」が必要になります。

 

だけど「許す」って損が多い。
「許さない」事で得る損はもっと多いって話。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました