怒りと作法

マインド
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さて、自分支点の怒りについて
いろいろ書いてますが
中には自分じゃなくて
よく怒る人が周りにいて困ってるなんて人もいますね。

 

ホント申し訳ない…
よく怒る側で(涙

 

でも、怒るって大変よ?

 

…さて、怒るって作法的にどうなんだろうね。

 

一般的に

「よく怒る=無作法の荒くれもの」

みたいな印象じゃないでしょうか?

 

怒ってる人と怒られてる人、無作法なのは…

あなた
あー、また怒ってるよ(笑

なんて怒る人を
軽く馬鹿にしてみていると思います。

 

中には恐怖であったり
そういう感情かもしれませんが
要約すると

「同じ人としては見てない」

と思います。

 

それは敢えて蔑む事で
わざわざ恐怖や不快の感情を抱かない様にする
防御本能です。

あなた
あー、アイツは犬以下だから
こっちが何か感情を抱くなんて勿体ない勿体ない(笑

といった感じですね。

 

実はこれ
怒りを抑える方法にも応用できますねどね。

 

しかし怒る人というのは
果たして無作法なのでしょうか?

 

円滑な人間関係を構築する上で
普段から怒る人は害でしかないのでしょうか?

 

相手を軽く馬鹿にすれば怒らずに済むのに
わざわざ怒るというのは
その相手に対して対等の立場として
本気を出している訳です。

 

怒りのエネルギー量でいったら
対等以上とも言えます。

 

あなた
でも、自分の感情に任せて怒るなんて礼節に欠くと思いますけど?

おっしゃる事は
ごもっともでございます。

 

では、その礼節や作法で
究極の目標ともいうべき
作法が理想とする人間関係のあり方ってどんなですか?

 

逆に
他者に対する作法の最大のタブーは何ですか?

 

恐らくは万人が

「ああー」

ってなる答えを用意できる人は少ないはずです。

 

もちろん一定の文化水準以上の作法の話なので
道徳や法律といった概念とは趣がかわってくるので
「殺人」などの極端な話は違いますよ。

 

作法最大のタブー、実は明確な答えがあった

16世紀イタリアの
デッラ・カーサが著した作法書

『ガラテーオ』

に明確な記載があります。

 

ちなみにイタリアの作法の基準となり
今ではイタリア語のgalateoは
「礼儀正しさ」という意味と同義になっているそうです。

 

デッラ・カーサ
どんなに敵意を抱いている相手でも、あざ笑うようなことは決してしてはいけない

すなわち最大のタブーは

「相手をバカにする」

という事であると書かれています。

 

デッラ・カーサは
「怒り」は少なくとも
怒る当事者にとって正義の怒りである訳であるから
正当な主張である。

 

これは不作法ではない。

 

それに対し
他者を侮蔑することは
悪意以外のなにものでもないと主張しています。

 

あざ笑う、侮蔑する、嘲るというのは
自分たちの利益とは無関係に
ただその行為が趣味で
隣人に恥をかかせようとしているという訳です。

 

あざ笑うのは
相手を痛めつけるための
悪意に満ちた行為であり
そこには怒りと違って微塵の正義も存在しない。

 

同時代にデッラ・カーサ以上に
後世のヨーロッパの作法に影響を与えたという
オランダのエラスムスも作法書で
このタブーを次のように主張しています。

 

エラスムス
礼儀正しさとは他の人の過失を快く許すことにある

作法を知っていると自認している人が
他人の不作法をあざ笑うとしたら
その人は作法の表面しか知らず
作法の根本がまったく身についていないことを露呈していることになる。

 

さて、本気で対等・それ以上で挑んできている
怒っている人を馬鹿にするという行為が
どれだけ無作法であるかご理解頂けましたか?

 

武士道でも同じことが言われている

さて、ヨーロッパの事例を紹介しましたが
もちろん武士道でも同じことが言われています。

 

16世紀というデッラ・カーサ達と同時代に
兵法家である小笠原昨雲が著した
黎明期の武士道書とも言われている

『諸家評定』

にも似た記述が見つかります。

 

小笠原昨雲
嘲りは不忠の第一也

嘲る(あざける)
諂う(へつらう)
恥をかかせる
遺恨の三つの罪有りとしています。

 

つまり嘲りは武士道としてタブーなのです。

 

また侍は

「人を嘲りて理屈をいはんとする時は、恥を取るべき事なるぞ」

と他者を嘲笑って優位に立とうとするより
むしろ恥を選ぶべきだとも言っています。

 

たとえば自分の才能に自惚れると
自分の親をも嘲笑ってしまうことがあるが

「みづからの賢才なりと慢じて
父母の愚なる事を嘲る事
虚人のことわざなるべし。
いかんとなれば
みづからの賢才は
父母のさづけたるにあり」

と戒めています。

 

 

まとめ

まあ、怒ってるから周りが見えてないとも言えますが
そういう嘲笑うとか馬鹿にする行為って
火に油を注ぐ行為以外の何物でもないので

「よく怒る人」

を作っているのは
実はその周りの人が無作法である場合もあるよという話。

 

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