最近は何でも病気にする風潮ってありますよね。
特に多いのが精神医学の分野で
そういう流れが顕著です。
例えばテレビなんかで定期的に
ゴミ屋敷なんて取り上げられて
といった具合で
なんでもかんでも症候群化して
精神に異常があるかのように
専門家がドヤ顔で語り始めます。
「ため込み症」
という病名が2013年アメリカ精神医学会の『DSM-5』に
新たな病気として掲載され
実際に世界中で使われている診断マニュアルにも載っています。
ゴミ屋敷問題は
何年も前から論議されていますが
病気としてカテゴライズされたのは
えらく最近の話です。
またメンタルが弱い人をつかまえて
それは病気だ!
なんて言うヤツも居ます。
実際はどうなんでしょうね?
医療化でガッチリ!
従来は医療の問題ではなかった事を
「これ、実は病気だという事がわかりました」
なんて病名をつけて医療の領域化してしまう事を
社会学では「医療化」と呼びます。
例えば従来は中年でお腹周りのふくよかな人を
ただのデブと捉えていたのに
糖尿病予備軍だなんてメタボリックシンドロームなんて
病名が与えられていますね。
確かに太りすぎによる身体の不具合は否定できませんが
太っていること自体が病であるかといえば疑問が残りますよね。
ただ医療統計学において
「糖尿病になる人は、太っている人が多い」
というだけです。
だからといって
痩せていれば糖尿病にならないかといえば
そういう訳でもありません。
かなり曖昧なものなのに
病気としてカテゴライズしてしまっている訳です。
医療化が進むと
医師免許も持ってない奴は黙っててくれる?
なんて囲い込みも出来ますし
関わるのに特殊な免許を要するようになれば
口出しする権利すら奪われてしまいます。
そこからは薬漬けの日々ですね。
一般的に粗品といえば
ボールペンなんかが一般的ですが
製薬会社の粗品なんかは
電気屋で2000円くらいで売っている
無線マウスだったりシリコン製キーボードだったり
結構値の張るものがあったりもします。
糖尿病の治療薬トレシーバの粗品の無線マウス持ってますが
結構いい製品です(笑
それだけ薬を出せる機会が多いから
一般的な企業ではあり得ない粗品を用意できるという話もあります。
少し話がそれましたね。
これらを見ると現代社会は各種の
「異常」
をわざわざ探してきて医療化する事が多いと言えます。
取り分け精神医療の分野では
「こんな考え方は病気だ」
とする事例が多いですね。
ゴミ屋敷に代表される
「ため込み症」
なんて
まさにそのいい例です。
逆に同性愛者など
以前は病気とされていた事が
むしろ普通となるケースもありますが
社会学的方法で勝ち取られたものですね。
医療化のメリット
ゴミ屋敷にゴミをため込むなんてのは
本来人間ならだれでも持っている
「貯蔵」
の欲求な訳ですね。
それがおおきいか小さいかの話で。
また、だだっ広くガラーンとした空間に一人でいると
落ち着かない・不安だなんて感じる事もあると思います。
そこで空間を物で埋める事によって
不安を解消しようとする行動がとられる事もありますね。
これは暗闇に居ると不安になったり怖くなったりするのと同じで
自身の感知できる範囲の度を越えた状況が耐え難いとい所から来ます。
動物の巣作りににた習性とも言えますね。
だから職場ではデスクがキッチリしてるけど
家・自分の部屋が散らかっているって人は
結構居ます。
その方が自分の感知できる範囲が一定であるから
安心できるんですね。
また物の小さな部分に対して視覚能力が過敏で
一つ一つに愛着がわいて捨てられないという説もある。
どう考えても着る機会・使う機会のない
子供服や20年前のPC部品をご丁寧に取ってあったり
買い物で手に入るナイロン袋や包み紙を折りたたんで保存したり…
こういうハイパー視覚は
自閉症スペクトラムの人々にも見られるという話ですが。
じゃあ何で動物本来の習性を「病気」とラベリングする必要があるのでしょうか?
中にはゴミ屋敷である事が
苦痛であるにも関わらず
ゴミを集める人の事を
「ため込み症」
と定義づけたはずです。
実際は
それで満足している人は
「ため込み症」
に定義できないはずですが
なんだかんだこじつけてラベリングします。
メリットは医療機関だけにしかないの?
例えば片付けられなくてそれが悩みの人が居たとします。
それで断捨離やこんまりの本を買ってきたは良いけど
新たに片付いていない物の仲間になってしまった…
そういった人に
なんて言えば
今まで家族や周囲から
と責められていたり
と自己評価が低かった人にとっては
といった風に
一定の安心感と未来展望が持てます。
まあ行ってしまえば
病気という診断は逃げ道ですね。
だらしないという自己責任ではなく
病気の結果として散らかっている訳ですから。
デメリットもある
中には医者でもないのに
なんて焚きつけてくる方も居ますね?
病気であるはずがないと思いつつも
試しに医者に行ってみたら
「ため込み症という病気ですね」
なんて言われたら
普通はショックですよね。
そうなると医者に行くことを勧めた人の事を
なんて有難がります。
まあ、ガスライティングの手法の一つですけど。
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こうした攻撃手法として扱われる事もあったり
医療の範疇としてしまう事によって
他の分野からのアプローチでどうになかる話も
医療法を盾に手が出せなくなる危険もあります。
実は薬で云々するような話でもない
多くの場合は
「特段の治療法はなく本来は認知行動療法しかない」
という話です。
症例として
一定の行動・思考を統計学で調べただけの状態です。
個人の特性を病気とラベリングする医療化最大の問題点は
社会の側がその人の思考・行動をどう意味づけるかという問題を無視して
その思考・行動をとる人間とその心理にこそ問題が潜んでいると考えてしまう事です。
社会学では医療化による病理化・個人化というヤツですね。
考えてみてください。
そうした思考や行動は
これまでに生きてきた過程で手にした
価値観であったり枠組みな訳です。
例えば狩猟民族は
動物を殺して食うなんてのは当然の話です。
そういう人が日本に来て
そのあたりを歩いている犬を殺して食っていたら
ほぼ通報されますよね?
昔親交のあった中国人が
野良犬を指さし
「あの犬は誰の持物でもないのか?
じゃあ食べていいか?」
なんて言っていたのを思い出しましたが
犬を食う人種にしてみれば普通の話ですが
日本人だと多くの場合ドン引きですよね?
ちなみに犬を食べようとして殺すときは
犬を直前まで楽しませたり喜ばせたりして
嬉しいという感覚が最高潮に達した時
一気に息の根を止めると美味しいらしいです…
恐怖とか抱いている時に殺すと
硬くてまずいらしい…
そういった価値観・枠組みの視点を
少しずらしてみるだけで
今まで見え方・感じ方が変わってきたりします。
リフレーミングですね。
要はそういった思考や行動をとる方が
メリットがあると思い込んでいる状態の視点を少しずらして
別視点からデメリットを感じてもらったり
他のメリットに気が付いてもらった方が
安全ですし有益なんですよね。
少なくとも怪しげな薬爆盛りされるよりか。
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