「そういう人だから」と決めつけてくる

マインド
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例えば、何か問題があった時に、早々に対応すればいい様な話を、わざわざ後回しにして面倒にしてしまったり。
逆に、もっと状況を見極めればいいのに、早々に余計な事をしてポシャらせてしまったり…

 

あると思います。

 

そういった時、人は決まって「あの人はそういう人だから」と言います。

 

実際、人はそれほどペラいものでもありませんし、自分らしさって本来そうじゃない。
だって、必ずそういった際、「ああ、またやってしまった…」なんて後悔しているでしょう?

 

操り人形に成り下がってんじゃねぇ!

知人の中に、何をしたって事はないけど、怖いって感じる人いるよね。
それは、その人に対して後ろめたい、からなんじゃないかな?

 

例えば、何か隠してる事、嘘、悪意。

 

その事実を認めたくないから、「怖い」として、可能な限り近づかないようにして、事実が明らかになる事を避けている訳。

 

じゃあ何で明らかになるのを避けるか?
ただの自己愛なんだよね、自分は悪になりたくないって。

 

事実が明らかになった時に、知人が怒るなんて、ネガティブな結果を予測して、プラスになる事を何も考えられないから。

 

そもそもは、事実を認めない自分が居るだけで、誰も悪ではない訳ですし、便宜上「怖い人」とカテゴライズする事によって、知人の方に不備がある様に見せかけて、自分を守っているだけなんだよね。

 

思考の根底がネガティブに起因する、「備えあれば」ってヤツだ。
ただ問題なのは、「悪になりたくない」って感情な。

 

そもそも善悪って何よ?

恐らくは道徳的に見ての善悪感情ではなく、ただ一過性の御座なりの「良く思われたい」って感情だろう。
実際の所は善悪の判定なんて、そこには最初からなくて、ただ「良い恰好がしたい」ってだけ。

 

少なくともそれは正義ではないよね?

 

未来意識も道徳も介在しない所に正義はない。
善も悪も絶対の正義ではないんだよ。

 

しかし、自分の感情に向き合えず、一過性の「良く思われたい」って感情にフォーカスするから相手の方に、知人に不備がある、まあ「怖い人」とする事で、一旦、自分の中で腑に落とそうとしてるだけ。

 

一旦、知人を悪にしてみれば、何気ない行動を、知人の行動に何かしらの理由付けをして「〇〇をしてるから、ほら怖い人じゃない」なんてアラ探ししたり、強引に悪であるといった要素を関連付けて、自分を正当化する。

 

人の行動に善悪もないんだよね。
ただ、「善だ」「悪だ」とする見ている人の枠組みがあるだけ。

 

ただ「良く見られたい」って「善でありたい」って感情から、便宜上相手を悪にしてるだけ。

 

人の悪い部分ばかりを探す日々って楽しいかい?
恐らくはそうする事によって、どんどん苦しくなる。

 

それは、あなた自身もそうであるし、悪とされた方だってそうさ。

 

時が経てば解決する?
しません。

 

むしろ悪化します。

 

あなたの考えはあなたの思考ではない

たぶん、あなたには擁護してくれる人はたくさんいるでしょう。
何故なら、普段から「良く思われたい」と良い恰好ばかりしているから。

 

「あなたはそういう人だから、悪じゃない」とか、事実の時系列を把握もせずに「ああ、じゃあ知人が悪いね」なんて擁護されたと思う。

 

それは同時に成長機会を奪われている、あなたを安く見積もっているという事にいい加減気づけよ!

 

あなたには本来、問題を解決できる能力も勇気もある。
しかし周囲に安く見積もられ、バカにされているから、その力を行使できない。

 

じゃあ、何で周囲があなたをバカにするか。
人は他人を思い通りにしたいって願望が少なからずある訳じゃない。

 

だからあなたに対して肯定的意見を表明して、同時にその知人を叩くことに加担してくれる。

 

巨悪を協力して倒すなんて、美談として語られる事多いし、連帯意識が生まれるからね。
そして少なくとも「協力してくれた」という感謝は残るよね?
そうなると、喜んで周囲の操り人形になる事を了承するよね?

 

そんな意識はないなんて感じるだろうけど、何かあった最に、まずその周囲に相談するよね?
その周囲の意見に引っ張られるよね?
自分では善悪を判断せずに、周囲の意見を実行しようとするよね?

 

善悪の判断すら、あなたは放棄してしまってる訳。

 

だから仮に知人に対して何かしらの悪行を行ったとしても、「そんなつもりはなかった」なんて言える訳。
だって、自分で判断して無くて、周囲の考えのもとでの行動だから。

 

…と同時に、知人は集団から排除される事になるんだけどね。

 

良く思われたい、仲良しゴッコのために知人を悪として集団から排除する動きのどこに善があるのだろう?

 

知人の生活を奪って、人生すら痛めつけてまで良い恰好をしたいの?

 

そんなのは悪としか言えないよね?

 

だから、あなたは一過性の「良く見られたい」って感情のみで善悪の判断すらせずに動く訳。

 

知人のすべてを奪いきって、自ら命を絶つまで、そんな事すら気づかないの?
また、知人が「怖い」なんて思われる事を嫌がっているとすれば、あなたは人の嫌だって言ってる事を、行い続けるんですか?
そもそも、怖い人って感情は、あなた自身が自分と向き合ってないから生じたものなのに。

 

「良く思われたい」、あなたの言葉にすれば、女子力とか大和撫子とかキラキラしたいとか色々あると思うけど、そういった概念の根底にあるものって、道徳的善悪の判断であったり、自分をしっかり持つ事なんじゃないかな?

 

少なくともあなたの周囲の意見から察するに、その根本性質まで理解できている人ってすくなそうな印象を受けます。

 

要は雑誌なんかの受け売りで、決してあなたを良くしたいというよりかは、良い様に操りたいといった根底が見えるんだよね。

 

最も、その根底の事実に周囲も気が付いていないと思います。

 

まずは知人に生活を返してあげて、知人を許してあげて、そしてあなた自身を許してあげて。

 

あなたはもっと成長できるし、輝ける。
そのためには、自分の足で歩みを進めろ。

 

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