さて、周囲が理解を示さない
「私、なんかしましたか?」
状態になる事ってあると思います。
受け入れがたい状況を
何とか打破しようと
相手に対してアプローチしたり
自分自身の中にある問題点を探求したり
まあ、いい方へ向かわせる努力をしますね。
こんな時は2つの考えがよぎります。
一つが
きっと何か私の性格的な部分で周囲に難色を示されているに違いない
もう一つが
改善しろよ、タコ!
自身に問題の所在を求めても
そもそも悪い事をしたわけでないので
これといった問題が見出せません。
性格起因だったとしても
そんなもの自身の中では普通である事なので
何が普通じゃないかなんて
気が付く事すら困難です。
また周囲に是正を求めるにしても
多くの場合
「これ」
といった理由が見つからず
是正のしようがないなんて状況もあります。
集団としては未熟だね。
という結論になりますが
だからといって放っておくのも
精神衛生上よろしくありません。
人格権の侵害や
基本的人権の尊重という
違憲状態とも言えますが
その話は別の機会に。
性格を変える事なんて出来ない
さてそんな際に
もっともらしいアドバイスをしてくる人が居ます。
でも自分自身を変える事は出来るよ(ドヤァ
一見すると
非常に金言のようにも見えますが
ここで少し考えてみましょう。
そもそもあなたに対して
といっている時点で
アドバイザー視点で見るならば
「あなたという他人を変えようとしている」
アプローチですね。
もちろん考え方として
知っておくのも結構かもしれませんが
充分に二律背反ですね。
性格が変えられるか否かについて考えれば
生活環境や信念・経験に基づいて形成されていたり
潜在意識から来るものなので
基本的に変える事ができないものと考える事も出来ます。
要は非常にチープな言葉とも言えます。
性格をパソコンで考えてみる
PCというものは
CPUや記憶装置などの部品で構成された機器ですね。
まあ、PC持ってない人は
スマホで考えてもらっても良いですね。
基本、同じ仕組みだから。
PCだけだとただの箱と言われるように
基本ソフト(OS)が無いと
概ね何もすることが出来ません。
OSの役割は
「この条件があったらこういう処理を行う」
という基本的な流れを持っています。
条件は入力であったり
時間経過であったり
いろいろありますね。
基本的にそれぞれを構成する部品にあった設計が必要で
他のPCやスマホに他のOSを入れても正しく動きません。
一口にWindows搭載PCといっても
その構成する部品は各メーカー毎に違っていたりするため
昔は各メーカー用に作る必要がありましたが
Windows自身に各メーカーの
それぞれの部品用の情報が書かれているため
最近はほぼほぼ動く様になっています。
だからWindowsは容量がデカいし高いんですね(笑
だからといって
他社PCで使っていたハードディスクを
そのまま他のPCに移しても
不具合が出ずに動くかといえば
何かしらエラーが出ますけどね。
初期設定でどんな部品で構成されているか判断して
WindowsがPC内に組み立てられるので。
ちなみにスマホの場合
Android OSだと
各社自身の特定製品に合うように
書き換えているますね。
でないと写真などの
記憶容量が小さいなんてクレームが出ますし。
そこに色々なアプリケーションや
デバイスドライバをインストールして
やりたいことを実現するような仕組みとなっております。
もちろんインストールしたものの組み合わせによっては
OSが不安定になったり
出来ない事が明確になったりします。
だから日々アップデートが繰り返されます。
あれ?
薄々気が付いてるんじゃないですかね?
PCが私たち自身の体であって
それを動かしたり
外部からの刺激に対する反応を示す…
OSが性格とも言えます。
OSを変えるなんて
多くは難しいですよね?
またPCにandroid OSを入れる事は困難ですし
そういう設計がないとほぼほぼ動きません。
Windows搭載PCは
Windows搭載という性格を持って生まれてきたものであって
他のOSにする事なんて想定されてませんし。
だからWindowsにはWindowsなりのクセがありますし
MacOSにはMacOSらしいクセがあります。
つまり性格とは
あなたを動かしたり感じたりするための
あなた専用OSなのです。
日々の学習(アプリケーション)で覚えた事を
脳(記憶装置としての)に記憶(インストール)して
出来る事を増やしてきました。
色んな道具(周辺機器)の使い方(デバイスドライバ)を
覚えて(インストール)して
道具を使う事が出来るようになりました。
数式(条件)を見て
脳(CPUとして)で演算(処理)したり
状況(条件)を見て
嬉しかったり悲しかったり(処理)する訳です。
受け入れ難い状況(OSに規定されていなかったり過度な条件)
に対して凹んだり苦しんだり(処理の結果エラーを返す)訳です。
人が覚えてきた歩んできた環境が違うように
インストールしたものによっては
PCが不安定になります。
だから人が皆違うように
Windowsだって同じことをしようとしても
エラーが出る事だってあります。
それが性格です。
あら?
お詳しいですね。
FreeBSDやリナクスなんて在りますし
Macも最近はWindows PCと部品構成が似てきているので
やり方によってはMacOSも動かせますが
それをPCに入れたら
Windows搭載PCはWindows搭載PCではなくなりますね?
つまり洗脳して別人になる事は
可能かも知れませんが
つまり
でも自分自身を変える事は出来るよ(ドヤァ
なんて
重大な人格否定なんですよね。
あなたはあなたのままで良いんです。
仮に変えようと思っても変わりません。
そんなあなただから
好いてくれる人も居れば嫌う人もいる。
ただそれだけの話です。
でも変えられないと困るんですけど…
性格を変える事は
ほぼほぼ不可能であるというのは理解できたと思います。
もちろん自己洗脳などで
ある程度の性格を変える事も出来ますが…
先ほどのPCを例にすれば
Windows7をWindows10にするみたいな
大型アップデートに相当するものです。
WindowsがWindowsである所以は変わりませんね?
自己洗脳で根底からガラッと変えるのは
ほぼほぼ無理に近い話です。
そういう人に諦めろって言うのも酷な話だと思うけど…
例えば他の人がしてくれた事に対して
良いよね、こういうの。
よし、私も次からやってみるか!
なんて感じる瞬間ってあると思います。
新たな価値観が追加された瞬間ですね。
増えた価値観によって
行動だったり言葉に
今までは無かったものが追加されます。
それを見て
なんて他の人が言うかもしれませんが
根本的な部分や人格は
まったく変わってない訳じゃないですか。
その追加された価値観によって現れる
行動や言動が好評であったり
自分にとって心地いいものであったりすれば
それはいつしか自分の中で標準的な物となりますね?
逆に人に良く思われない価値観なんかは
手放すというのは難しいですね。
性格+価値観ありきで行動が行われる訳ですから
「手放す=出来る事の放棄」
にもなるため
それを喪失と捉えてしまうからです。
だから人間の潜在意識化には
「変化は危険」
と捉える習性があります。
変化によるメリットが
変化によって失われる可能性があるものを上回らないと
人は変化を受け入れません。
だから単純に価値観のみを手放す事は難しいんです。
PCにおけるプログラミングで
一番多くの時間がかけられるのが
デバッグという不具合解消作業ですが
これがなかなか困難。
見つからない事だってあります。
バグは夜更け過ぎに仕様へと変わるだろう
という言葉がプログラミングの現場にある様に
根本から直しようがないなら
それを回避する仕組みを追加したりします。
望まない結果を回避して
望んだ結果を得るための価値観ですね。
「変わらないといけない」
と無理な話を一生懸命考えるから
心身ともに疲れ果てるのです。
自分自身の中にある
何かを殺す感じですね。
しかし価値観なら
いくらでも増やす事が出来ますよね?
誰一人変わる必要がなかった
さて、周囲が理解を示さない
「私、なんかしましたか?」
状態になる事ってあると思います。
結局は双方が価値観を持ち合わせていないから
この様な状況が発生することがわかります。
例えば、無視する理解しないといった人は
自分が嫌なものには蓋をしたがるタイプですね。
これは自分自身では何の努力もしない
他力本願で新たな価値観を得る以前の問題です。
そのため
どこまで行っても新たな価値観を得る事が出来ず
ただ枯れるだけとなります。
特に悪い事をしてないのに
なんか風当たりが強いって人は
変えるのが困難な弱点ばかり見ようとして
プラスになる新たな価値観を得る
時間や体力を削いでしまいます。
そりゃ良い方に転がるのは稀ですよ。
バグは夜更け過ぎに仕様へと変わるのだから
それを回避する魅力的な価値観を得れば良いんです。
でも自分自身を変える事は出来るよ(ドヤァ
うわべを撫でるのはそこまでだ!
人は生まれながらにして平等に扱われる権利を有しています。
個人に対してのみ「変われ」というのは
無知蒙昧としか言いようがありません。
他人をコントロールしたいという
意識下から来るものです。
そもそも多様な価値観を知っていれば
他者をコントロールというのが
非常にバカげたことである事もわかるでしょうし
さらなる良い価値観を得るためのキッカケにもなります。
まとめ
あなたはあなたのままで良いと思います。
それは変える事が出来ないし
変わってしまってはあなたでなくなります。
あなたの感じ方、モノの見方
言葉、行動どれもそのままでいいと思います。
確かにそれでイラっと感じる事もあるかもしれませんが
そういったあなたに私がイラっとする事も含め
あなたの魅力を形作っている要素だと思います。
拒絶と否定からは何も得る事は出来ないでしょう。
性格のせいで辛かったり苦しかったりすることもあるでしょう。
それはその性格を変えようとせず
自分自身を許す価値観を得れば良いだけです。
変えようとするから苦しくなるんです。
あなたはあなたで居てください。
私はその方が
あなたらしくて魅力的であると思います。
どうしても嫌な部分は新たな価値観を
得れば良いだけです。
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