そこに居ない人の悪口を言ってはいけない。
不公平だから。
さて、前回は
味方のふりをした敵について書きました。
ここで補足すると
その悪口ですら本当は誰も言ってなくて
実はわざわざあなたに教えに来た奴の
作り話である事も多いですね。
むしろそんな話が即興で作れる事から
実はあなたに伝えに来た奴の
普段から抱いているあなたに対する憎悪の念だったりもします。
まあ、普段からそういうのは
その場に居ない人の悪口を言って盛り上がる傾向もありますね。
つまり自分に
直接被害がなさそうな方法を選択するのです。
「みんなが」は仲間ですら売って自分だけ助かろうとする行為
「みんなが」こう言っているとか
「みんなが」やっているとか
何かと使う人がいます。
例えば
みんなファミコン持ってるから買ってよ
なんて親にねだった経験はあると思います。
これは「みんな」を枕詞にする事で
自分の考えが間違っていることを誤魔化したり
集団に見せかけて意見をゴリ押しする場合に用いられます。
平均的な香川県民だと
みんなって誰な!言うてみぃまい!
えっと…古瀬君とか…広瀬君とか…
なんて切り返され
あたふたしながら思いつく名前を列挙していく感じです。
…で、結局5、6人くらいしか名前が出ず
みんなと違うやん、買わんで!
となります。
ちなみに心理学における調査で
「みんな」の定義は何人であるかを調べた事によると
3人なんだそうです。
6人も名前出せたら上出来じゃないか!
当時の私にファミコン買ってあげるべきだ!
「赤信号 みんなで渡ればこわくない」
日本人はとにかく
「みんな」
といって誤魔化そうとします。
外国人は「個性」を重視し
日本人は「集団」で物事の良し悪しを決めようとする。
日本人は
「マイノリティ=悪」
といった意識が高いとも言えます。
だから「みんなが」という事で
俺ってばマジョリティ、よって大正義!
といった感じで
比較的幼い段階から「みんな」を多用するようになります。
それで個性の時代ってんだから
かなりパンチの効いたジョークですね(笑
なぜマジョリティでないとダメか
将棋のルールが微妙な人からすれば
金と銀ってどういう動き方できたっけ?
といった感じですね。
それじゃ、いくら高性能な「金」「銀」ですら
扱う事が出来ません。
逆に性能的にポンコツな「歩」の方が
動かし方がシンプルで
ルールが微妙な人でも動かすことが出来ます。
そうなると扱いが微妙な「金」「銀」よりも
「歩」の方が安心して運用できる訳です。
しかも数が多いし(笑
つまり上官にしてみれば
突飛な才能をもった部下を育てるより
凡庸な「歩」を育てた方が楽ですし
運用面でも安心して前に一歩進めるだけで済みます。
それは教育の現場で昔から
集団に属する事は良い事である。
たとえ稀代の才能を持っていても指揮命令権を持った者が運用できないと困るから、凡庸でいなさいよ。
それにそんな突飛な才能があると全体の統率に関わる
なんて言われてますね。
だから思考や行動は
マジョリティでないとダメなんですね。
今のご時世
歩が「成金」になったようなのが
定年で抜けた「王将」の代わりを勤めているような時代ですよ?
そりゃ、突飛な才能をもったのを運用しきれるはずがありません。
「みんなが」は隠れみの
そういった背景から「みんな」という多勢を従えた風に見せれば
自分の意見が正しいと相手に思い込ませることが出来る…
…と言いたいところですが
正直、これまでの説明を読めば如何に子供だましな方法であるかがわかりますね(笑
その人に
「みんな」とは誰か?
と尋ねても
「それは言えない」とかせいぜい名前が出ても3人くらいです。
何故なら誰も言っていないからです。
つまり、そういった風説をでっちあげて
あなたを攻撃したい訳です。
そうやって第三者を悪者にして
味方のふりをして近づいたり
ダメージを与えたりしようとする訳ですね。
自己主張の正当化を図ろうとして
息を吐くように嘘をつくんですね。
信用できない人です。
ところでこれを見てくれ…
どう思う?
すごく…大きいです…
…と彼が言ってたので、たぶん大きいです
など自分の意見を言えない
また自分発信の意見を言えない情けない人です。
ディベートのテーブルに着けるほど
成熟しきっていませんね。
「みんなが」に対する面白対処法
さて、仕組みがわかってしまえば
味方のふりをして近づこうが
強気であなたを責めようとしようが
それは子供だましである事がわかってしまいます。
しかしどういう形にしても
悪口を言われた訳ですからイラっと来ると思います。
だけどよく考えてみてください。
「みんなが」とか「〇〇が」という時点で
その人たちも「あなたを攻撃している」風な様相を演出したいわけです。
つまりあなたがその人たちに
まさか事実確認をするはずがないという絶対条件が悪口を言ってきた人の中にあるんですね。
「みんながあなたの悪口を言ってた」
(だから近づくと攻撃されるかもよ)
要はあなたから「みんな」を遠ざけ
孤立無援の状態になったところで
悪口を言ってきた人が自分の思い通りにしたい訳ですね。
じゃあ対処法は
その場で怒りをあらわにするのではなく
その「みんな」に直接聞くのが正解と言えます。
そうする事で
悪口を言ってきた人の中にある絶対条件が崩れますね?
みんながあなたの悪口ばかり言ってるよ
そうでしたか! 気が付きませんでした、申し訳ありません。
ご迷惑をおかけしている事があってはいけないから、すぐ皆様にお話をきいて謝りに行きます
すると悪口を言った人は驚くはずです。
急に顔色を変え
必死になって両手をバタバタさせたりしながら怒鳴り声をあげたりして
慌ててそれをやめさせようとするはずです。
そもそもが「みんな」ではなく
悪口を言ってきた本人の思いなので嘘がバレると計画がおじゃんになります。
自分に直接被害がない方法をとったはずが最も被害を被る形になる訳ですね。
仮に悪口をみんなが本当に言っていたとしても
出来る限り問題点を善処しようとする姿勢を批判する人も稀ですし
あいつ何チクっとんねん。
しかも良い恰好しやがって!
ってなりますよね?
それも悪口を言ってきた人にとって
望まない形なので
結果的に効果が高いと言えます。
誰々が言ってたとか
皆が言ってたとかの正体なんて
まあこの程度のものです。
そういうことを言われた時は
「すみません!では皆さんに聞いてきます!」
と冷静に言ってみたら
面白いことになると思いますよ。
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