日ユ同祖論の裏付け、それが獅子舞

獅子舞
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さて、みなさんは「日ユ同祖論」というものをご存じだろうか?

 

「信じるか、信じないか、それはあなた次第です」という決めセリフでおなじみの番組でも取り上げられてた事があるので、知ってる方は知ってますね。

 

ざっくり言えば、ユダヤ人と日本人は同じ祖先をもつ民族ですよという論調ですね。

 

皇室の16花紋菊花紋とイスラエルのヘロデ門に記された紋章であったり、大和言葉とヘブライ語の類似点であったり、日常のしきたりであったり、神社の建築様式であったり…

 

詳しくは、Wikipediaあたりを参照していただければ…

 

伎楽は失われた、獅子舞は残った

さて、日ユ同祖論については、ハローバイバイの有名な方が特番で大きく時間を割いて語るくらい長いので、先ほどのWikipediaを読んだ前提で話を進めます。

 

獅子舞が伎楽(ぎがく)の一つとして日本に伝わったのが、600年代です。

 

味摩之(みまし)という百済人が、日本に伎楽を持ち込んだのがはじまり。
推古 20 年(612年)に日本に帰化しました。

 

大和の国、現在の向原寺(こうげんじ)に伎楽の舞を伝え、これが日本の獅子舞のルーツとなります。

 

大化の改新から大宝律令(701年)制定にかけては、唐の文化を吸収しつつ神道の復興と制度化の過程であり、大化の改新の内容は、当時における神道の重要事項が中心であったとも言われています。

 

その内容は旧約聖書と類似点が多いと言われています。

 

唐-朝鮮半島経由で、ダン族など残りの支族は、日本にユダヤの国に必要なものを伝えた形となります。

 

ちょうど仏教の伎楽の中に、必要そうなものがあった訳です。
それが獅子舞。

 

味摩之という百済人も

みまし
獅子の紋章でおなじみのユダ族の方も、コイツは喜ぶね。

…と伝えた訳ですが、神道の祭司一族であった中臣氏が主導して、専横する仏教派の蘇我氏を滅ぼした事件ではありましたが、仏教を取り入れ神道とともに厚く信仰し興隆につとめた聖徳太子の功績もあって、後年に獅子舞のみ残る形となります。

 

獅子はユダ族の紋章だし、獅子舞は魔を払う効果があるし。

 

何より、日本や中国に居るはずもない獅子(ライオン)にここまで思い入れがあるのは、大和民族がユダ族の末裔で、一族の紋章を忘れないための一つの工夫と考えられはしないだろうか?

 

だから当時の日本では想像のしようがない獅子を神聖なものとして、獅子舞の形で伝えたのではないだろうか?

 

さっと
信じるか、信じないかは、あなた次第です(笑

 

追記

日ユ同祖論で中心として語られる機会の多い一族が秦氏です。
秦氏というのはユダ族の末裔とも言われています。

 

高松の氏神とされる岩清尾八幡があります。

 

この周辺に秦氏の古墳が点在している事も知られています。
また、その周辺地域の豪族が佐藤氏であり、守護にあたっていたと言われています。

 

まあ、私の祖ですが。

 

だから栗林公園の基礎となった場所に居を構える必要があった訳です。

 

しかし、天皇家と密接な関りがあったり、大きな功績を残した秦氏って歴史で学ばないでしょう?
これにも諸説ありますが、元々渡来した一族なんで余所者が目立つなよとかそういう理由もあるみたいですね。

 

その影響で守護職である讃岐佐藤氏も歴史の記述から削除されてたりします。
こういう部分って、歴史の渦中にない人からすれば、知りようがない部分ですね。

 

実は歴史というものは都合よく編纂された、誰かの為のお話なんですよね(笑

 

そんな一族であるから、生駒騒動で改易となって佐藤氏が生駒さんと一緒に左遷させられた際に、水戸黄門の長男は讃岐に残っている他の佐藤一族に気を使って松平家の家紋である(三つ葉葵じゃないよ)丸に橘を贈る必要があった訳ですね。

 

多くは語りませんが、剣山周辺にも佐藤さん多いですよね?
都市伝説好きな人には有名な話で、

「剣山にはアークが眠っている」

というのがあります。

これも日ユ同祖論を語っていると、出てきたりする話題です。
つまり、佐藤一族はそういう一族なんですよ(笑

 

さっと
信じるか、信じないかは、あなた次第です(笑

 

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