完璧主義すぎて許せない

マインド
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いつの時代でも常識として、良い事と悪い事の区別がされてきました。

 

だけど、あまり

「○○でなければならない」

と制限をかけすぎるとストレスになります。

 

まずは人としてのありかた

カントの実践理性に関して定言命法仮言命法という言葉があります。

いそのさん
いそのさん

そもそも実践理性って何?カントもよく知らないし…

カントの考え方としてアニメ「寄生獣 セイの格率」あたりが最適ですね。

 

 

人間が当たり前だと思うことと、他の生物が当たり前だと思うことが異なるということ表したシーンがたくさんありますね。

 

せっかくなので、今回はカントについてざっくり説明します。

 

我々が今

「人として当たり前でしょ?」

と思っているものは「人として」に着目しているためです。

 

その「人として」という概念を作り上げたのがカントなのです。

 

現代では、道徳と呼ばれている概念近いですね。

 

「寝る」「食べる」
といった日常の行動から
「助ける」「手伝う」
といった親切な行動もあります。

 

こうした人間の行動をひとまとめにしてカントは格律と呼びました。

 

しかしこの格律の中には

  • 欲望に基づいて取られた行動
  • 理由は知らないけどなぜか従っている行動

とに分けることができます。

 

人間の行動の原因を分析すると、信仰深い人でもそうでなくても同じようなルールに従っている事をカントは発見します。

 

この「人類共通のルール」、人間だけが持っている普遍的な行動のルール、それを実践理性と名づけました。

 

定言命法と仮言命法

カントの実践理性に関して定言命法仮言命法という言葉があります。

 

定言命法というのは命令形ので
「困った人がいたら助ける」
「悪口を言ってはいけない」
といった普遍的なものですね。

 

簡単に言うと、「道徳」がこれですね。

 

仮言命法というのは仮定形で
「困った人がいたら美人なら助ける」
悪いことをしていない人の悪口を言ってはいけない」
と条件付きなのです。

 

自律と人格

しかしこれだけだと少し整合性がありません。

 

我々は同じ実践理性を持っているから、等しく正しい行動を取るはずです。

 

…が実際はある人は人殺しになったり、困っている人を見ても見ぬふりをしています。

 

カントはここで

「意志の自由」

という考え方を用います。

 

この意思の自由を自律と呼びます。

 

私たちには自分の行動を決定できる「自由」があります。

 

この「自由」があるから道徳を無視し利益を優先させるといった行動がとれる様になります。

 

「この「自由」こそが、道徳律を完成させる」

としています。

 

もし自由がなく定言命法に従って自動的に道徳律を達成するようであれば、それはただの自然法則となりますよね?

 

道徳律とはあくまで

「人として当たり前」
「それを目指そうとする意志」

がそろわないとなりません。

 

自律によって道徳律を目指そうとする主体を人格と呼びます。

 

聖人君子にはなれっこない

カントの思想はごもっともですが、多くの人はカントのようになりません。

 

カントが超真面目で時間に厳しいって人だから。

 

散歩の時間すら数分の狂いがないくらいの徹底ぶりですよ。

 

多くの方が憧れはしても

さっと
さっと

んな生活無理だわ…

となります。
ストレスマックスですね。

 

 

しかし完璧主義の人は仮言命法でいいような事も定言命法に昇格させて物事を判断するので、どうしても小さな事すら許せないなんて事が出てきます。

 

「これが正しいのだ」

と決め付けず

「これもあり、あれもあり」

と思うことでストレスが無くなります。

 

「絶対に自分が正しくて相手が間違っている」

という強いこだわりや思い込みで腹が立つわけですが、あまりにも相手に対して自分が理想としている完璧さを求めていたら朝から晩まで腹を立てて生活しなければならなくなります。

 

そもそも、この世には「完璧」というものが存在しません。

 

人間はもちろん、この世のあらゆる生命体、あらゆる物事は不完全なものでなりたっています。

 

そのため、人間が完璧を求めると

「行動しない」

という選択を取らざるを得なくなります。

 

なぜなら、不完全な人間が完璧を追求することは自然の摂理に反しているため不可能だからです。

 

これは能率学という学問で

「もっとも能率的な状態は何もしない」

という事に行きつくのと同じです。

 

80点主義

米国の心理学者ラシアノフはこれを

「完璧主義の麻痺」

と名づけ、人間が完璧を追求すると

「完璧にできないからやらない」

という精神状態に陥り、最終的には自己否定という逃避につながると説明しています。

 

不完全な人間は7~80点が満点。
適当な基準で生きれば、自己否定は簡単に改善されます。

 

「完璧主義者」は他人に対しても完璧を求めます。

 

そのため他人のだらしない面が気になって仕方なくイライラしたり叱りつけたりする特徴があります。

 

「鏡の法則」にしたがうと、他者を通して自分の不完全さが浮き彫りとなるため完璧主義がますます強化される悪循環に陥ります。

 

つまり他人を許せない感情は、自分で自分の首を絞める悪癖なのです。

 

世の中は、白か黒かといった二択の評価基準ではありませんね?

 

あらゆるタイプの人、あらゆる考え方、あらゆる価値観があるからこその人間社会なのです。

 

自分の物差しで他人を評価することは、傲慢ごうまん極まりないですね。

 

「独裁者」に似ています。

 

まとめ

他人のだらしない部分も受け入れ、尊重してあげる習慣をつけることをすれば、自分のだらしない部分も許せるようになり完璧主義という自己否定の要因を解消することができますって話。

 

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