自分を許せ、自分を好きになれと散々このブログでも言ってますが、実はかなりザックリとしていて、何をどうすれば…
まあ、そんな感じですよね?
なんて言っても、多くの方はナルシストっぽいし、自己愛っぽいし…
そんな感じなんですよね。
愛とは許しであるとも言いますが、実際何を許せばいいのでしょうね?
何で気になるの
基本的になんでも卒なくこなす大変スマートな人が居ます。
そんな彼女がある日こう言いました。
そりゃあ、ダメなところがあったら、
…と言えるのですが、何でも卒なくこなしてるので、基本的に褒める部分くらいしか無い訳です。
だからと言って、重箱の隅を突く様な部分を指摘するのは単なる意地悪ですし。
いろいろと話をしていくうちに、一つ気になる部分が出てきました。
おそらくは、彼女に対して唯一私がダメ出し出来そうな部分です。
それが
「他人の目を気にしすぎる」
といった部分です。
人から変な目で見られるのは嫌だし。
さっとみたいな変わり者にはわからないでしょうけどね。
「スマートさん」と「あなた」のピクトが同じなんて…
そろそろバリエーション増やさないと…
話がそれましたが、そりゃ社会生活を送る上で他人の目を気にするのは、言わば当然の話です。
しかし、気にしすぎるあまりに自分自身をスポイルしてしまったり、実力を出し切れないなんて事になったら、正直不幸でしかありません。
最後のは私が普通に凹むので、やめてください。
この様に、どうして人の目を気にしてしまうのでしょうか?
自分のために生きてない
例えば、人に馬鹿にされた事があるとします。
それが原因で人の目を気にするという人は、馬鹿にされた原因である要素が自分の中にある以上、実際に馬鹿にした人じゃない他の人もその部分を馬鹿にするかもしれないという思い込みがあるのです。
小学生の時とか、クラスにこんなヤツ居たでしょう?
メガネかけてるだけで
天然パーマなだけで
苗字が佐藤なだけで
兄貴の名前がATSUSHIで自分の名前がAKIRAなだけで
…なんて言う、バカな男子。
深く反省しております…
多感な時期にそういう事を言われると、それをずっと引きずってしまう人も居る訳です。
結果として、そういった要素を持っている限り、誰かに馬鹿にされる事に怯え続けなければならないのです。
私も、そういう片翼を担ってしまったバカな男子だったので、せめてもの罪滅ぼしとして、少しでも悩みが軽くなれば…と記事を書き進めております。
バカ男子は、あなた以外にも同じようにバカなあおりをしていたのに、何であなただけ今でもその流れから抜け出せないでしょうか?
それは自分の姿や態度を見た相手の反応をうかがっているからだと思います。
例えば、何か目的を持った行動を起こす際に、
といった行動ゴールに焦点を当てずに、
コレやってる所を他の人が見たらどう思うだろう?
といった風に、他人にこう思われているだろうという固定観念が周りの目を気にしてしまう事に繋がるのです。
そうなると、自分の人生なのに望んだ結果をあきらめざるを得ない場合だってあるでしょうし、何より人に見せるための人生となってしまいます。
良い恰好しぃ
他人の目が気になる人の特徴として、
「自己評価の低さと感受性が高い」
事が考えられます。
自己評価が低いってのは、自尊心が低いって事であって、逆に自尊心が高い人は他人の目を気にしない傾向にあります。
まあ、一言で自尊心が高い人というのは
「自信家」
と言えますね。
自己評価が低いと、他人からの評価に依存するしかなく、そのため人の前では下手を打つ事や変と思われる事を極端に嫌います。
結果として、人の意見や行動に流されたりします。
自信がない訳ですから。
そして感受性が高いと、周囲の状況などを察知しやすくなります。
そのため「気が利く」とか「周りの雰囲気を汲んで、調和を目指す」なんて非の打ちどころのない長所となり得ますが、そもそもその行為って他人の目を気にした行動の真骨頂でもある訳です。
つまりは、自己評価がないから他人から評価される様な事をして自分を満たそうとしている訳です。
自分が良い恰好できない=人に突っ込まれそうな所があると、平気で切り捨てる所存であると言えますね。
自分の生き方、人付き合い、趣味、価値観のをすべてを他人から評価されたいって、そりゃただのファッションやないか!
ファッションのためなら自分の身すら傷つけるのと何ら変わらん!エエカッコしぃや!
あなたにとっての自分らしさって何よ?
エエカッコさえできれば、一生いかなる場面でも演じ続けるのかい?
私はそれを幸せとは呼ばないと思っています。
ただのファッション
例えば「何歳までに結婚して子供を作って~」なんて話がありますよね?
自分では焦ってないなんて思ってても、他人の目が気になる人って、
早く相手見つけないと…
もちろん、他の人が見て羨むような人な。
と内心は思っています。
何故なら、「何歳までに~」なんて話は他人の青写真をもとに作成される未来地図であるし、そこには人にどう映るかが存分に描かれている訳ですから。
彼は東証一部上場企業の正社員で、地域でもカワイイと有名だった嫁を貰います。
そして家事もこなし、地域でも有名なイクメンとなりました。
しかし、無理がたたり体や心を壊し、家事をこなす事が当たり前となっていたため、手を休める事が出来ない状況だった。
手を止めようとすると、「今までしていたのに、何で急にやめる」なんて言われたり。
最後には自ら毒物をあおる結果となりました…
ファッションでしかなかったのかも知れません。
恐らく、私があなたに「あなたらしくあって欲しい」と願うのは、そういった悲しい結果を知っているからだと思います。
働きアリの法則といった呼び名で知られる、パレートの法則などでもわかる通り、あなたを好きな人が2割いれば、残りの8割はあなたの事なんかどうでもいい、嫌いという人なんですから。
周りの目を気にするのは、多くの場合はあなた自身の思い込みにすぎません。
「他の人がどう思う」なんて、あなたが勝手に考えているだけであって、他の人からすれば自分の環境を構成する一要素にすぎません。
いわゆる背景であったり、モブキャラと言われる名もなき登場人物にすぎないのです。
「人は興味のある物や人以外は気にしない」ということは理解できると思います。
当たり前のことのように思えますがこのことに気づかないと他人の目を気にしてしまうのです。
興味ないのに何故噂話?
その噂話の内容を話したいだけで、登場人物が誰であろうと関係ない!
小室のてっちゃんなんか、まさにそうですよね?
文藝春秋設立者である菊池寛なんか文春砲がいくらあっても足りないくらいの事をしてても、高松中央公園に銅像が立ってるんですよ?
人を裁く事で自分を正義にしたいんだ。
でも、それだと世間がおかしくなるから、裁いて良い身分の人は司法じゃない。
もちろん、善意・悪意もありますが、噂話なんて結局は自分自身を満足させたいがために、他人を扱き下ろすだけの最低行為だ。
上の方で例に出した
なんてありますが、仮に噂話がもとで距離取りたいなんて場合、一番の被害者って「距離を取りたい」って言われる人であって、有象無象の輩の為に人一人を生贄的に扱って良いのかって話ですし。
噂話からその人を「害悪」として処理するならば、あなたも立派な加害者と言えます。
そもそも、「そういう性格をした人が知り合いに居る」というだけの話なのに、それを「悪」と見なすならば、人としての存在否定ですね。
要は自分以外の誰かをコントロールして優越感に浸りたいだけであって、それにまんまと乗ってしまうあなたが非常に都合のいい操り人形である訳です。
そんな次元の低いものに合わせてて、次元の高い幸せが得られるとでも?
自分の心の声を聴け!
とはいえ、社会に出ても一定数他人をいじってくる人はいます。
こればっかりはその人の個性なんで「性格変えてくれ」と言う訳にもいきません。
そもそもがコミュニケーションとしての手段ですし。
だからと言って、その人の顔色を常にうかがって生きるのは大変です。
つか、そんなのに縛られて生きるなんて、何のための人生だ!
しかし、自分自身の視点を変える事である程度、人の目を気にする性質を緩和する事は出来ます。
自分自身を変えると言っても、あなたの性質を大きく変える必要はありません。
ちょっとした勘違いを正すだけです。
自分の好きな事に没頭している時って、人の目が気にならないですよね?
例えば、趣味のスポーツやライブなんか見てる時に、周りの観客ばかり気にして内容が入ってこないなんて無いですよね?
つまりは、自分の楽しいと思えることだったり趣味を見つけたりすることに時間を費やすほうが建設的であると言えます。
あなたの人生はあなたのためにあって、あなたの人生を保証してくれない他人の目を気にして生きるなんてもったいない。
そもそも、他人は暇つぶしや自分以外の誰かをコントロールして優越感に浸りたいだけです。
でも、本当に親身になってくれる人と冷やかしの違いが見極められてないから、あなたは人の目を気にする訳じゃない。
人の生き方って十人十色な訳じゃないですか。
それぞれの個性があって然るべきで、それによってすべての生きざまが違ってくるのは当然です。
人の目を気にするって行為は、そういった個性の否定だよね?
そうなると、あなた本来の良さを隠さなければならない場面も多くなるし、後悔の多い人生となるんじゃないかと。
そもそもが、他人の目が気になって仕方ないって人は、とても真面目な人なんですよね。
気配りがちゃんとできるタイプで他人からも好まれる性格だと思います。
だから個を犠牲にして抑圧して今まで生きてきたと思います。
ホントによく頑張った。
今あなたが、少しくらい自分自身にわがままに生きたって、誰もあなたを嫌わないし、例えその事を指摘する人が居たとしても、あくまでその人個人の感想です。
あなたへの評価ではありません。
そして他人の目が気になるのは、「みんなそう思っている」という思い込みです。
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