さて、「歴史は権力者によって作られる」という名言がありますね。
例えば、1000年近く聖徳太子として知られていた画像が、ある日突然、聖徳太子じゃなくなったり…
そのうえ、実は存在して無かったくらいの事まで言われだしたり…
歴史学者が自分の権威を誇示するためだけに、歴史が改められる事だってありますし、変に歴史を曲解させない様にと編纂された古事記ですら、今の世の中では読み解きを要する…
解釈が複数ある訳です。
今日は、歴史書に書かれた事項だけが真実じゃないよといったお話です。
都合により予告なく変更になる場合があります
さて、歴史とは後世に出来事を正しく伝える事が目的とされていますが、実は真の目的は違います。
例えば、新しい事をしようとするとき、過去の事例を示した上で新案を展開する事ってありますよね?
朝鮮からの併合要請があった時、伊藤博文や福沢諭吉が「んな地域と併合するなんてとんでもない」と反対する人に対して、
すなわち我ら日本人の末裔が併合を望んでるんだ
なんて説明された事もありましたね。
だから、日本は朝鮮を日本国として併合しました。
その事実すら、数十年しか経過してないのに、植民地だなんて改ざんされていますしね。
歴史とは時の権力者や権威者が物事を通しやすくするために、敢えてザックリとした話にされたり、事実とは異なる事が書かれたりします。
つまり、都合の悪い事実は歴史として正しく伝えられる事がない訳です。
事例:讃岐佐藤家
讃岐が生駒氏によって統治されていた時代、老中を当家が務めた時期もあります。
その時期に栗林公園の基礎となる庭園を佐藤家が作りました。
また、多くの事業を行い、家臣のみならず民から慕われていたという事実があります。
しかし、香川の公式な歴史では「江戸時代の讃岐=松平家」な訳で、栗林公園も「松平家の庭園」と伝えられています。
生駒氏なんかもショタコン君主がおこした生駒騒動で秋田に飛ばされるくらいの認識ですよね。
栗林公園の佐藤家に関する記述に至っては、郷東川改修時に枝流を作らせて現栗林公園付近の庭に水を引き入れたみたいな、職権乱用みたいな言われ方です。
寒村だった現高松市街を開発したのは松平家みたいなノリで書かれていますし、松平家以前の歴史となると、不思議と歯抜け状態であったり、不自然に簡素であったりする訳です。
実際は、古高松から現高松市街へ中心を移すために、生駒時代に玉藻城を築いた訳ですし、石清尾八幡を中心とした城下町を予定していました。
その頃は、讃岐の中心地のクセに東かがわ市・さぬき市付近よりも高松は寂れてた訳ですし…
郷東川改修はその一環ですし、水路網や灌漑のために引っ張った枝流から、ちょっと水を拝借して現栗林公園ですし。
そもそも、その地域一帯は佐藤家の領地ですし…
全事業が完了する頃には、生駒氏は秋田へ…
だから、
…まったく、生駒とか佐藤とか何もしてなかったからねぇ(ニヤ
どうだ!将軍家スゲェだろ?
と主張しやすかった訳ですし、その方が将軍家の威厳が示せます。
可能な限り佐藤家や生駒時代の偉業は修正・削除が行われています。
また、生駒家も本当はお取り潰しだった訳ですが、
そうだ、松平も三つ葉葵の紋を使っても良くなったんで、松平家の家紋である丸に橘も差し上げます。
ほら、将軍家一族と同じ家紋使ってるなんてカッコイイじゃないですか、何とかこれで…
なんて事を経て、生駒家家臣や民たちまで出羽に向かいます。
だから
…まったく、生駒とか佐藤とか何もしてなかったからねぇ(ニヤ
どうだ!将軍家スゲェだろ?
とビッグマウスだった訳ですね。
逆らう人は向こうに行っちゃった訳ですし。
事例:真田家末裔
また、讃岐にて家康を震え上がらせた真田幸村の4男をかくまっていました。
生駒時代は良いのですが、まさか将軍家ゆかりの者が統治する土地で真田の末裔が大手を振って暮らしてるなんて、江戸には報告できません。
そうなると、可能な限り真実は伏せていかないと松平家の名折れになっちゃいますよね?
また、そういった動きのおかげで、真田4男末裔は最近まで
と加盟する事が許されませんでした。
ホント、将軍家は余計な事を…
また、讃岐の在来武家なんかも
といった具合で、焚書した話もあります。
だって、相手は真田家が秘宝を強奪して返さないと難癖付けて、日光東照宮の莫大な費用を真田家にせびった徳川家ですよ?
真実を書いたものが、ヤツラの手に渡れば、何されるか…
真実は小説や映画・神話をベースに語られる
歴史を都合で歪曲していくと、どこかで整合性がとれなくなってきます。
そのため別の方法で真実を伝え、歴史と合わせる事で整合性が取れるようになっていたりします。
…というか、当初はそういった方法込みで「歴史」だった訳です。
では、別の方法とは何でしょう?
それは、小説や神話・伝説などの創作されたお話や伝承です。
例えば、実際に起こった事柄の登場人物の名前を別物に変えて「フィクション」とする事で、事実とは違うものといった偽装が出来ます。
下手にその偽装に対して当事者が目くじらを立てれば、それを事実と認める事になります。
だから、真実を小説や神話・伝説などに紛れ込ませるという事は昔から行われています。
もちろん、最近でも行われている手法ですね。
その手法で、歴史と伝説の二本立てで後世に伝えられ、その事例に対して当事者が利害を生まない状況になった時に、合わせられるのです。
簡単に言うと、誰も損も得もしない状況で歴史を真実に戻す訳です。
そう考えれば、何故数十年前の戦時中の真実が歪められているのか、すぐ理解できると思います。
真実を語ると、誰かが損または得をする状況…
…場合によっては、日本が無くなるからですね。
ただ、その歪められた歴史を盾に調子こいている連中は、ちょっと思案が足りないのか、自滅して歪めたはずの真実を露わにしちゃってますけどね。
まだ歴史を真実に戻すには、時期が早いって訳ですね。
コメント