ワタツミ(海神)といえば、オオワタツミノカミ(大綿津見神)ですね。
「ワタ」は「海」
「ミ」は「霊」
を意味していて、「偉大な海の霊」を意味するそうです。
そのワタツミが住んでいる場所が海宮(ワタツミノミヤ)…
これは色々な物語を紐解くと、龍宮(りゅうぐう)や水晶宮(すいしょうきゅう)なんて呼ばれ方もします。
海の中にあるイメージですが、あれ実は香川県でした。
ワタツミの住居=竜宮
万葉集に収められている浦島太郎のことをうたった歌でも海若神之宮(わたつみのかみのみや)と表現されている通り、「海宮=竜宮城」というのは、皆が持っている共通認識と言えます。
ここでは解りやすく、竜宮城という表記に固定したいと思います。
さて、竜宮城が登場する物語と言えば、古くは古事記から浦島太郎伝説まで沢山あります。
また中国の西遊記や八仙東遊記にも登場する事が知られていて、西遊記では孫悟空に如意棒を持っていかれたり、八仙過海では八仙人にボッコボコにやられる事で知られています。
そりゃ、そうなると海を治めるようにと須佐之男(すさのお)を任命するのも頷けます(笑
しかも竜王は4人いて、いつも東の海の竜王が噛ませ犬になる役回りだし…
ちなみに西の海の竜王が西遊記に出てくる玄奘三蔵の乗ってる白馬になるヤツな。
この様に、一口に「竜王の住まう所=竜宮城」と言っても、軽く四か所は存在していた事になり、これが各地に竜宮伝説が残る原因とも言われています。
そう思うのは当然ですが、一般的に「ワタツミ」と呼ばれるものは、冒頭でも言った通りオオワタツミ(大綿津見神・大海神)です。
神産みでイザナギ(伊邪那岐)・イザナミ(伊邪那美)二神の間に生まれました。
名前から解る通り、海の主宰神と考えられますね。
イザナギが黄泉から帰って禊をした時に、ソコツワタツミ(底津綿津見神)、ナカツワタツミ(中津綿津見神)、ウワツワタツミ(上津綿津見神)が生まれ、この三柱を総称して綿津見神と呼びます。
これで竜王(=ワタツミ)が四人という中国と日本で辻褄があいます。
じゃあ、何で香川県がオオワタツミの竜宮なのよ?
ワタツミを祀る神社の有名どころは九州~瀬戸内海付近に多く分布しています。
綿津見神の子であるウツシヒカナサク(宇都志日金析)が九州北部の海人族であったとされ、阿曇氏の祖神であるとされています。
現在も末裔が志賀海神社の宮司を務めているという、安曇氏伝承の地ですね。
また、宮崎県にも浦島太郎伝説があり、この事から竜宮は九州にあるとする説が強いです。
多くの場合、
中国から考えて海と言えば、多くの場合は東にしかありません。
その様な立地で東西南北それぞれに竜王を配置するとすれば、
- 中国近海「西海の竜王」
- 黄海付近「北海の竜王」
- 東シナ海「南海の竜王」
となるのが妥当で、東海の竜王は日本近海と考えられます。
しかし、西南北の竜王=綿津見神の土地が九州ならば、東海の竜王の土地は九州よりも東に位置する事は普通に考えれば理解できると思います。
瀬戸内海ですね。
先ほども言いましたが、イザナギが禊を行った事で生まれた三神を総称して綿津見神です。
つまり、4人の竜王のうち綿津見神を除けば、残るのはオオワタツミです。
だからオオワタツミの国は瀬戸内海となります。
確かに金毘羅さんは海の神様だけど。
昔から金刀比羅宮と対で参拝する事が知られている倉敷市にある由加山(蓮台寺、由加神社本宮)にはオオワタツミとスサノオが祀られている事が知られています。
つまり、この二社で一対なのです。
だから別に香川県にオオワタツミを祀る神社が無くても別段問題はないと言えます。
本場だからこそ竜宮伝説多数
鰐河神社(わにかわじんじゃ)というものが香川にはありますが、トヨタマビメが鰐に乗って川を遡り、この地に上陸したという伝承があります。
似た読みの鰐河神社もありますが、こちらにもトヨタマビメが亀に乗って上陸しています。
さらには、縁結びとか安倍晴明でお馴染みの冠纓神社の遊衣館にも舟遊びの際に古川を上って上陸したという伝承があります。
いろんなものを器用に乗りこなしてますが、じゃあ何の為に上陸したりしなかったりしたのかを考えれば、鰐河神社に答えはあります。
トヨタマビメが亀に乗って讃岐国山田郡潟元(屋島付近)に上陸し、ウガヤフキアエズをこの地で産みます。
その際に、ホオリが「覗くなよ」といわれてたのに、ついつい覗いてしまって、八尋鮫の姿を見られたことを恥ずかしく思い、トヨタマビメは元のオオワタツミの国に帰ってしまいます。
言われた事を逆説的にやってしまうという行為は、神代の時代から伝わる伝統芸能としてダチョウ倶楽部等に継承されています。
しかし、トヨタマビメは亀にライドオンして海ではなく、新川を南下します。
そして再上陸した地が三木町となります。
後の時代の高僧行基によって「そんな由緒ある所なんだから、神社くらい建てなさいよ」との事で建てられたのが、鰐河神社。
トヨタマビメはウガヤフキアエズを出産後、ワタツミの国に帰ったとありますが、この事からワタツミの国である竜宮城は香川県内である事が言えます。
追記
トヨタマビメとホオリが出会った場所は海神の宮にある井戸と古事記に書かれています。
鰐河神社と同じ読みの和邇賀波神社という神社が近くにあります。
この和邇賀波神社のある場所こそ、三木町井戸。
つまり、水を汲む施設としての井戸ではなく、この三木町井戸で出会った事になります。
だからこそ、ウガヤフキアエズ出産後に鰐川神社に向かったのは、そこが竜宮であった証であり、当然の行動なのです。
能楽「海人」
別の話で裏付けをとるならば、藤原鎌足の子である藤原不比等(淡海)と海女であった玉藻のお話ですね。
二人の子である房前が行基と共に志度寺に訪れ、玉藻を供養した際のお話が、能楽「海人」ですね。
志度浦から入れる所が竜宮、ワタツミの国な訳。
その玉藻の子孫である事を公言していた生駒親正もワタツミの国であった事を主張していますし、何よりトヨタマビメの伝承の残る神社を強く保護しています。
玉藻は讃岐国の枕詞になるくらいですしね。
…と統治の際に、いい大人が大真面目な顔して言い放つくらいですから。
もちろん浦島太郎もいるよ
浦島太郎は、香川県詫間の荘内半島に生まれ、鴨ノ越で亀を助けます。
…まあ、よくある浦島伝説の通りのお話です。
しかしこの荘内半島、ここいら一帯の地名がほぼ
「浦島太郎伝説」
にまつわる地名となっています。
浦島太郎が生まれた所が生里(なまり)。
竜宮城から乙姫 と帰ってきた太郎が宝を置いた場所が積(つみ)。
別れ際に乙姫が腕輪を落としたのが金輪の鼻。
玉手箱のふたを開ける前に滞在していたのが不老浜(室浜)。
玉手箱のふたを開けたのが箱。
その煙が 立ちのぼっていったのが紫雲出山。
開けて老人となって余生を送ったのが 仁老浜。
箱地区には浦島太郎一家の墓まで存在しています。
もう浦島太郎伝説全開バリバリですね。
なかなか喰い下がりますね…
蓬莱山
式内社和爾賀波神社の論社のひとつである讃岐白山神社のある白山山頂には龍王社もありますしね。
蓬莱山は讃岐白山だ…
…と言いたい訳ですが、そうなると蓬莱山富士山説とバッティングしますし、ニニギが立てた蓬莱宮の事も考えて、蓬莱山富士山説の方が整合性があります。
しかしそれでも余裕で九州よりか香川の方が富士山に近いし!!
…白山も三木富士とか東讃富士って言われますし…
また、中国に伝わる蓬莱山は海の中にある山とされていますが、別に海底にあるとは言われてない訳です。
周りが海でそのセンターに山があると考える事も出来ます。
つまり島国。
その島国で一番の山と言えば、富士山な訳です。
(阿曽山大噴火前は阿曽山の方が高かったという説もありますが)
まとめると
志度や屋島から行けて、新川やそれに繋がっている古川を遡れる立地、そして宅間の人がさぬき市を往復すれば、それなりに時間を要する事から、竜宮城はほぼ香川県で間違いがありません!!
また、生駒氏が当地の際に真顔で話を推す事からも、間違いがないと言えます。
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