前回、介護職に業務効率を求めるのは
無理な話であるというお話をしました。
その理由は
そもそも効率化・能率化というものは
ビジネスライクと捉えられている節があり
介護業界全般で知識として与えることを
忌み嫌っている風潮にあります。
…まあ、コスト意識があったら
資格を取るためのコストと
介護の仕事をしようというものを
天秤にかけた際
となって
人が寄り付かなくなりますし。
そもそも適当な学校行ったら貰える程度の資格だったんでしょ?
後から取る人は数十万払いなさいって…
確かに自動車免許も
かなり初期の頃は
「警察に申請すればOK」
「神社や広っぱで車を10m動かせればOK」
でしたが
後の交通事故の社会問題化で
自動車学校で規定時間のレクチャーや実技を経て
試験を受ける形式に変更されました。
しかし介護の資格はどうでしょう?
もっと深く学んで精神面をだなぁ…
そうだろうか?
別に初期の頃の介護福祉士の資格は
人を起こせたらOKとか
いい加減・適当なものじゃなく
みっちり介護とは何だといったものを
何時間にもわたって学んでいます。
そもそも知識のない人に免許を与えた結果
事故が増えた自動車免許制度と同列に扱う事に無理があります。
資格制度の厳格化で
防ぐことのできる問題とは趣旨が違うのです。
しかもいまだに
「ボディメカニクスをキッチリやれば腰痛防止に効果的だ」
レベルの話を平気でしている連中な訳です。
国際的に「腰痛予防効果なし」と判定されて
10数年たっても言ってます。
こんなの時間を増やしたところで…
誰がどれだけキックバックを受けれるんだい?
と疑いたくなりますね(笑
じゃあ、何が事故を引き起こすんだい?
色々問題はありますが
けっこうコアな部分にあるのは
「効率的ではない」
からであると言えます。
だから「現場の改善活動」が会議の議題に上る
「意識の高い人が頑張れば頑張るほど、
全体として成果が出ない」
というのは前回の記事でも触れました。
これはパレートの法則などに由来するものですね。
いくら意識が高い人だけで
チームを構成しても
結局2割の人が8割の仕事をこなして
残り8割の人は「遊んでいる」と言えるものですね。
そこで多くの方は
残り8割を遊ばさない提案を行いますが
パレートの法則はマネジメントやマーケティングなど
そういう分野で良く使われますが
実は自然法則などあらゆるものに適用される
絶対普遍的な法則とも言えます。
いわば、
といったナンセンスな事を主張している事になるんですよね。
そんな訳で
仕事をしていない職員や
スキルが低い職員のケツを叩いたり
なんて主張は
一見するとすごく的を得た意見ですが
自然法則ともいえるパレートの法則を無視した
大変な主張なんですよね。
じゃあ、どないセーっちゅうねん!!
しかし会議の席でこんな真実を
みんなが知ってしまったら
多くの場合は
ってなりますよね?
「改善をする」
という事を
「全体を底上げする」
「全体のスキルアップをする」
といった上昇志向でしか考えないから
こういった意識高い系の方が喜ぶような意見しか出ないのです。
もちろん、そういった意見の方が
って評価になりますしね。
あと鍛えれば全員
ロールプレイングゲームの様に
ステータスがオール999になると
思い込んでいる方が多いのも
こういった意見を後押しする結果となります。
なりませんから。
人には個々に能力の上限があって
いくら鍛えても越えられない壁というものが存在します。
日々その事だけに特化したトレーニングを課している
世界的な陸上選手達でさえ
スタートとゴールであれだけ差が開くんですよ?
ボトルネック
例えば、工場を例に考えてみましょう。
前工程・中工程・後工程と様々なプロセスを経て
製品が作られていきます。
そんな中、中工程の機械が老朽化の為
最新鋭の高速処理の可能な機械を導入する事となりました。
生産効率はあがりますか?
答えは中工程を高速化した事で
前工程では中工程へ送る製品の加工速度が間に合わず
一切の遊びなくフル稼働状態で
後工程では中工程から送られる製品の在庫があふれかえる結果となります。
もちろん、前後工程の機械に
設けられている安全マージンを多少削る事で
全体としては高速化を狙えますが
それは機械に無理をさせている状態ですね。
故障率が大幅に上昇します。
そのうち中工程の最新鋭機械も
前工程の処理速度を超えて
仕事待ちの状態になる事だって考えられます。
生産効率が上がるどころか
かえって大きな混乱を招き
全体の成果が落ちると言う事例ですね。
能率学的に見ても
機械に無理させ
無駄な待機時間や
全体でのムラが発生する等々
非常に能率的ではありませんね?
これは工程管理にとどまらず
職員の連携やタイムラインにもそっくり当てはまる事です。
「一部の人」
だけが頑張っても
施設は良くなるどころか
かえって全体の歩調を乱して混乱を引き起こします。
よく居るじゃない?
一人二人暴走して
スピード至上主義みたいに
ガンガンかっ飛ばす人。
こういうのは
自分が仕事した気になりたくて
他の人にツケを支払わせている状態と言えます。
ただのエゴだ。
問題解決の糸口として
一番できてない
一番スキルの低い人を
云々する事が重要である事は変わりません。
みんな重大な事実に気がついては居るのです。
ただ対応が誤っているだけで。
結局「プロジェクト」「チーム」の成果も
その中で最低の能力の人物がボトルネックとなって
全体の足を引っ張る形となるんです。
もっと言うと
「集団の成果は
その集団内で最も能力の低い人物(グループ)に規定される」
という事が出来ます。
制約条件の理論で言うところの
「ボトルネック」
というヤツですね。
例えば、砂時計ありますね?
砂が落ちる速度は一定です。
これを早く落とそうと
振っても叩いても
何をしようが速度は変わりません。
「全体を底上げする」
「全体のスキルアップをする」
なんて意識高い系は
一生懸命砂時計を振ろうとしているのです。
押してダメなら引いてみな
じゃあ、砂時計の細いところを太くする=教育・スキルアップが一番の解決なんじゃ…
俺たちはチームじゃないのか!!
例えばいつもオムツが曲がってたり緩かったりして
横漏れしまくりで
と言われたり
全体的にチェックや報連相が疎かで
なんて
常に周りの人の仕事を増やしてばかりの人が居たとします。
この場合
その職員への対応は
「ダブルチェック」
「ルール策定」
「スキルアップ」
なのでしょうか?
そういったミスに対応しようと
あれこれやれば
逆に業務量を増やしてしまい
遅れを生じてしまったり
煩雑化によって
ミスの発生する機会を増やしてしまっているのです。
工数が増せば
それだけ管理する項目が増えますからね。
究極の事を言えば
「その人物をチームから出して、残りで早くやる」
「出来てない人に合わせて、もっとゆっくり仕事をする」
の2択しかありません。
機能してないなら
外してしまっても問題はないかもしれません。
しかしその人物が消えた事により
パレートの法則に従って
また新たな「出来てない人」が発生します。
また外しますか?
最後には
「一人でやった方が早い」
という事になるまでやってみますか?
はたしてその状況が
チームと呼べるものか
いささかの疑問を感じます。
出来てない人に合わせて
もっとゆっくり仕事をする事が悪なのでしょうか?
効率的をはき違えて
ガツガツ突っ走ってる連中に後れを取ってはならない…
そんな思いから
ついついオムツの当て方が
あまくなってしまっているとは考えられませんか?
「どうせアイツはダメだから…
俺達でさっさと片づけようぜ」
と他の職員が突っ走ったせいで
報連相の機会を奪ってしまっている
確認の機会を奪ってしまっているとは考えられませんか?
その上で
そんな余裕のないその人物に
「スキルアップだ」
だなんて
どれだけ無理強いしたいんよ?
すべての人が問題の責任を
その人物に負わせているだけですね。
もはや能率的とはかけ離れたものです。
しかし出来てない人に合わせて
もっとゆっくり仕事をするという事は
「チーム全体で無理をしていない」
「無駄に走り回る事もない」
「規定通りの皆が行えるのでムラがない」
といった風に
能率学の観点からも
非常に優れたものとなります。
全体に余裕が生まれますね。
スキルアップは
本来ここまで対応してから行う
次の段階の話となります。
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